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「何しない」ことは悪じゃないと伝えたい。ずっと「何もしていない」と思いながら絵描きとして生きてる


こんにちは、散歩する絵描きの一瀬大智です。


寝るのが好き、散歩が好きでぼーっとも好き。
何もせずダラダラすごしています。


少し前までは罪悪感があり、検索してみると
「解決策」や「ダメな理由」などがでてきてさらに落ち込みました。

時間が経って何もしないをしていたいんだなと思ったので
おなじように罪悪感を感じているなら読んでみてください。

何もしないことは悪か

たいてい「何もしていない」と他人にいうと「暇人」や「ダメな人」とレッテルを貼られる。
言い方の問題かもしれないけれど、「何もしていない」は悪のように捉えられているよう。

ほんとうに何もしていないというわけじゃない。
「何もしていない」と口にする時でも寝たり、ぼーっとしたり、少し散歩したりをしている。

「何もしていない」が「周囲に伝えるほどでもない」から「何もしていない」と言っていることが多い。

周囲に言わなくても大切なこと


疲れていたり、日課だったり、気分だったり
いろんなことで「何もしていない」を選択している
そんな時間が心地よかったり、時には幸福を感じながらぼーっとしている。

世間的には何か大層なことをして、消費して、レジャーして、喜んで自慢できるようなことが「何かしている」ことにあたっている。

そんな価値観のなかでいたらどこか、ボーッとすることが好きな人でも
もっと何かしなきゃいけない?と罪悪感を感じる人がいてもしょうがない。

世間的にいう「何もしていない」を周囲に誇れず罪悪感があっても
あなたにとっては大切な心を休める、幸福感を運んでくる行動なんだろう。

一瀬も散歩をしたりぼーっとしながら考えたり
遠くをながめたり、そういう時間を愛おしいし、過ごしていたいと感じている。

この記事を探してわざわざ見てくれているあなたも、おそらくそういうタイプだ。

忙しいことは幸福か


忙しさを嬉々として伝えてくる人がいる。

そういうことを聞くとどこか羨ましいなあと思う反面、予定が詰まっているのは苦しく感じるし
できる限りカレンダーはうまらないままで、「何もしていない」を求めていることに気づく。


自分にとっての幸福は忙しく立ち回っているより、時間的に自由でその時間を他人から見ればなんでもないことに使いたいのだと。

何かしたくなったらしたらいい


かといってずっとダラダラしているということでもない。
何かしたくなったらこうやって文字を打つし、絵も描くし、個展なんかで外に出向いて絵を伝えたりする。

行動に波があっていい

毎日毎日忙しくしているんじゃなくて、緩急をつけて、エネルギーがたまったら吐き出して、また何もせずためて

食べることと寝ること以外は、毎日毎日何かしなければならないなんてことはないと感じている。

毎日これをするとか目標も大事だけれど気をぬくときは抜いて、動きたい時に動けたらそれでいい。

さいごに


世間的には「何もしていない」ということはよくないイメージを持たれがちだけど、

何かしているのがあなたにとっての幸せでなければ、何もしてないのもそれはそれで1つのありかた。

SNSやインターネットが暮らしに近くなって、ニュースでは連日誰が何をしたが伝えられて

自分も何かしなくちゃと駆り立てられてみるけれど、「何か」してもどこか違和感があった。

合っていない「何か」をしたところであんまり幸せじゃなくて
もやっとするし続けようとも思えない。

それなら何もせず最低限生きながら何もしないをしていこうと。