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絵描きが見つけた”好きなときに絵を描ける、ゆるく生きる”理想地点。

こんにちは、一瀬です。


この記事では「あなただれ?」という方に対して、僕のことをお伝えできればと思います。


現在の生活


まず、現在どうやって過ごしているかを少しお話させてください。
僕は画家として活動しながら日々過ごしています。

一瀬の展示の様子ですね。


いまは「ゆるゆるに生きる」理想を目指して、絵を描きながら、「絵描きの活動に役に立つ」発信をしています。


一年に数回個展を開催し、イベントを行い、ブログは月間で3万回以上がみてくれています。累計で40万回みられるようになりました。


これからの人生まだまだ膨らむなと妄想しています。


時間的自由をつかって自由な時間に起きて、散歩して、読書をして、絵を描いて。


世間一般の流れからはなるべく離れて、時間に縛られず生活できています。


どうして僕が、こんな人生を送るようになってこれからどうしていくのか?をお伝えできればと思っているのです。


もともと、コミュニケーションも苦手、勉強も苦手、運動も苦手、絵も苦手で、外に出れないようなスタートでした。


そんな「社会不適合者」の僕でも、知識と情報を得れば


“絵を諦めない人生”


を実践できます。
可能性を感じていただけたら、嬉しく思います。

すべて踏み外してきた。


ずっと、踏み外して、逃げてきました。


最初の逃げは、中学一年生の時、ショッピングセンターのゲームセンターによく遊ぶようになったころのこと


いつものように遊んでいると、ひょんなことから他校の生徒と喧嘩になり、喧嘩のしかたもしらず数人にボコボコにされました。


一緒に遊んでいた友達には見捨てられて、泣きながらの帰り道で「あぁ、自分ってこんなもんなんだ」と


学校に次の日いくと同じクラスのヤンキーから「おう、昨日喧嘩したらしいな。こんど締めにいってやるよ」いま思えば助けの言葉でしたが、この時感じたのは「この世界で主人公はこの人たちなんだ」ということ。


無力さを感じて、どうにも自分の存在が小さく見えて次の日から学校を休むようになり、中学時代を過ごしました。


このときは外に出ると動悸がひどくなり、まともには外にも出れず1ヶ月に一回外出するかどうかの3年でした。


高校には不登校支援のかいもあり、通えるようになります。


しかしそこでも居場所を見つけれず、ギリギリ居場所になった美術室に毎日こもるような日々でした。


高校の時に絵をはじめましたが、あまり上達もせず、1年生のときに市のコンペでまぐれに入賞するも、その後2年はなにもできず、周囲からは「1回入ったくらいでしょ?」と言われていたのを聞きました。


「絵をもう少し続けたい。けれども同じ高校の人がいるのはいやだ」という理由で大学を選びました。大学選びでさえあとで考えれば逃げでした。



2年にあがったころ、この大学では2年次から各コースにうつります。
ここで油絵を選択しました。


先生の作品や美術館での油絵をみて、「こんな作品をつくれる油絵を使えば自分もすごくなれるんじゃ」毎日そんなことを思って絵を描く日々。


アトリエに日が変わる頃までこもったり。


150号という2メートルを超える作品をかいたり。

これが大学3年生ごろの150号です。

うまくなって
画家になるんだ…!

っと毎日妄想していました。すでに頭は画家気分でした。

大学も卒業に近づいてきた3年の終わり
まだ絵を描くんだと、大学院を目指すことに


ただ、実際のところ、予備校にも大学受験時通っておらず(美大生は大抵通っていた)まだまだ力が足りていませんでした。


はじめての院試への対応や、先生の「そんなんじゃ受からないぞ」の言葉にどうすればいいのか、この道が合っているのかわからなくなっていました・・・


やってもやっても進んでいない感覚

結論から言うと
院試には落ちました。

通知を受けた時は現実味がありませんでした。


院試は遅く、不合格が届いたのは卒業の1ヶ月前。


落ちたということを知りながら対応する卒業制作展。

一向に進まなかった卒業制作
150号二枚でした。




学内での賞がよく見知った面々につけられていくなか
自分にはなにも賞がつかない敗北感。

あぁぜんぶダメだったんだ。

事前に卒業直前に設定していた後輩とのグループ展も
焦燥感に駆られながら。今思えば後輩にはあまりよくない空気感で話していたかもしれません。


そこから急遽、会社を調べて連絡して面接するも
戦略やスーツなんてありません。

当たり前のように落ち卒業を迎えました。


卒業式ではいてもたってもいられません
通っていた大学は就職率100%近いことを売り出していました。


ここにいる人は僕以外は就職が決まっていて、僕以外はまともに働いて
僕はまた道を外れてしまったのか。


衝撃でした。
中学の時に感じた「自分は主人公ではない」という感覚が再び襲ってきていました。



少し落ち着いてきたころに、先日の面接をするなかで気にかかっていた言葉があることに気がつきました。


「昔は美術系だったけど、仕事に満足して作らなくなった」
「仕事で何か作ることで自分を納得させてる」
「ここで働いたら絵は描けないよ」


作品を作り続けていくには、多くの時間を仕事に費やすと難しいんだと。


もうひとつこの時感じていたのは、当たり前ですが無職です。お金がありません。大学でしていたバイトは院試を前にやめていました。


すぐに貯金はそこを突いて、困窮しました。


あぁ作り続けるのは「時間」だけじゃなくて「お金」も関係しているのか。


あまり意識してこなかったことを改めて強く認識しました。

もう1つ思ったのは 

なににも迫られず
好きな時に制作していきたい!


絵の描き方は教えられても、人に売ったり、画家として生きるなんてことは教わっていません。


なにもわからないまま「画家 なりかた」とか路上に座って似顔絵を描いたり、見ず知らずのお店で絵を飾ってもらったり、行動しはじえました。


けど何もなりませんでした。


引っ込み思案でコミュニケーションもろくにできなかったので、路上に座るまでに数時間をかけました。


似顔絵は描いてみるも「私はこんなんじゃない!」と怒られてしまいました。


お店に絵を飾ってもらいましたが、絵の説明ができず見てもらえませんでした。


気づけば卒業して1年ほどたっていました。
卒業してから1年のあいだも制作はとめておらず、機会を見つけては描いていました。

貯金はつねに1万円以内。
描いて、動いてはいても結果はなかったに等しいです。

ひとつの連絡からはじまる



Twitterで知ったギャラリーの展示募集のお知らせを見てその日に速攻で連絡しました。


その展示から繋がってギャラリーでの個展につながりました。


もう一度参加した展示では卒業後初めて、作品が売れたのです。


展示だけではなく、他の場面ではアートイベントの運営や、制作補助に携わるなど


少しずつ活動がひろがり始めました。


動いていたことが少しずつまわりはじめたのです。


「あぁ続けていれば繋がる時がくるんだ。」と実感しました。


そこから繋がりがまた繋がり、新しいことが起きる。
そんな流れができはじめています。


ここから得た経験や知識を発信しはじめました。


すると、少しずつ反応してくれる人が、現れ始めました。


いまでは、路頭に迷っている日本の絵描きの希望になっていく。そう信じて毎日発信しています。


これからはあまり触れられてこなかった
絵描きの活動に役立つ「時間」や「お金」にも触れていきたいと考えています。


それは、言い換えれば「ゆるく絵を描きながら生きる方法」理想の生き方です。


僕もまだまだ道半ばですが少しずつ理想に近づいています。


ぜひ、一緒にゆるく絵を描いて生きていきませんか。

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PS:このページを作成してから2年が経ちました。
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