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ある猫との出会いがいまも絵を描く理由なのかもしれない

こんにちは、絵描きの一瀬大智です。

“自分にはやらねばならないことがある”

僕が絵を続けている理由の
とても大きな部分をしめるおはなし。

臆病なロシアンブルーとの出会い

小学校のころの僕はいまほどインドアということはなく

鬼ごっこやドッジボールをして
駆け回っていた元気な小学生だった。

我が家には2匹の猫がいたのだけど
小学校高学年のころに1匹目の猫が我が家にやってきた。

先住猫がきて1年半ほど
お友達がいたほうがいいね?

と家族が話していたとき
野良猫を引き取らないかという話が舞い込んだ

縁あってロシアンブルーの母親をもつ
綺麗なグレーの毛並みをもつ子猫がやってきた。

野良で過ごしてきたためか人になれず近づけば威嚇ばかり

ベッドの下や押入れといった
人目につかないところにばかり隠れる子だった。

数年かけてやっと一緒にいれるように。


僕は中学にあがったが
半年ほどで不登校になった。


猫と一緒に過ごす時間が自然と増えた。

ずっと威嚇ばかりだったロシアンブルーの子は

最初は距離感もわからず、引っ掻かれたりかまれたりだったけど
少しずつ少しずつ距離は縮まっていった

やっと一緒の空間で過ごせるようになり、

触れたり膝にのって過ごすようになった。

突然の予期せぬ別れ

大学も3年の終わり

このとき僕は実家を離れて大学の近くに下宿していた。

はじめての大学外での仲間との自主的な展示を企画して

新しいことにドキドキしながら毎日絵に向かっていた。

そんなとき親から
久しぶりに一通のメールがきた。

「猫の体調が悪いので病院へいってきます」

1日ずつ送られてくるメール

「水が飲めない、糖尿病のようです」

「入院することになりました」

「覚悟が必要なようです。」

1日ずつ悪くなるという報告はくるものの
次の日からが展示のはじめ

僕は展示のことで頭がいっぱい

心配だったが、大きく気にかけることができませんでした。



きっと元気な姿をまたみることができるんだろう。
どこかでそう思っていました。

ロシアンブルーのあの子がいなくなる

次の日のあさ一通のメールが届いていました

「残念ですが」
という件名のメール

僕は悟りました

メールを開くのをとてもためらったのを覚えています

知りたくない、と思いました。

「今朝、亡くなった。」

の文字とお花が添えられたあの子の写真
あまり現実味がなく展示の搬入作業に向かいました

しかし、もちろんのこと集中して向かえません。

その日の夜、実家で対面しました。

動かなくなった体を前に、実際に描いた絵


触れてももちろん動きません。
涙があふれてきました。

あぁほんとにいなくなったな…
なにも言葉になりませんでした。

僕はこのとき自分は何かこれまでこの子にしてあげられただろうか?

と突然思いました。

自分にできることってなんなんだろう

この子に今からでもしてあげられることは
涙してぐちゃぐちゃの顔と頭で考えます

こんな時になってもやっぱり
自分は絵しかできないんじゃないだろうか

こういう時に描くために絵をやってきたんじゃないのか
紙と鉛筆をもって横たわるルーを描き残しました。

あの子がいた場所を…

ロシアンブルーのあの子を
どうにかして違う形で描き残せないかと

いた場所や使っていたものを描くことにしました。

亡くなってから半年後

学生4人グループの展示で披露しました。

こんな一見ネガティブな内容の作品を人はどう見るんだろう

人に見せることをためらいましたが、
見に来てくれた方に絵の説明をしたところ


「この子は幸せだね」

この言葉で僕は救われた気分でした。
あぁ描いてよかったんだ。

ストンと気持ちがおちました。

今も絵を描いています。


1週間ほどの期間中に400人近い人が来場者

イヤな顔をせずに絵に向かって
見てくださる方が多かったことに安堵しました。


心地よい疲れを感じながらギャラリーをあとにしました。

実家にはいまでもあの子のお骨があります。

戻るたびに思い出してしまう。
と、同時に

今も絵を描いているよと伝えるんです。

きっとあの子のおかげで今も絵を描いている。